
?B腰が水面上に浮いている。というような点が確実に行われた。?@の小指を下にした入水は、すぐキャッチに移行するためのテクニックで、?Bの腰が水面上に出ている泳ぎは、ボディポジションの良さが反映されたものといえる。
一方、キック動作にも様々な工夫が凝らされた、元400m個人メドレーの世界記録保持者ジェーシー・バサーヨ(Jesse Vasallo、米)は、1979年全米室内大会の背泳ぎターンで水中ドルフィンキックを利用した。バサーヨは、小柄ながら400m個人メドレーや200m背泳ぎなどの種目で活躍したことから、この水中ドルフィンキックは、それ以後、全米各地に伝播し、普及していった。水中ドルフィンキックの興隆は、単なる流行としてだけではなく、理論的に合点のいくものであった。すなわち、水面下を潜行することにより、ターン直後の水流を避けることができるという避抵抗技術を取り入れた理論だった。
だが、水中ドルフィンキックは、その後、体力の消耗が激しいなどの理由から世界の実力スイマー達から敬遠され、衰退の一途を辿っていった。しかし、1988年ソウル五輪では、100m決勝に進出した選手の半数以上が、25m付近までドルフィンキックで潜水していくという、これまでにない背泳ぎレースを展開し、新しいレーススタイルを築いた。これまでとは違った背泳ぎのレーススタイルに、「子供が真似をしたら危険だ」「とてもエキサイティングだ」等々の賛否両論の物議を醸した。
現在、世界記録保持者のジェフ・ラウス(Jeff Rouse、米)に代表される競技力の高い男子選手は、スタートおよびターン後に、水中ドルフィンキックを積極的に取り入れたレースを展開し効果を上げている。
2)日本
我が国に目を向けてみると、ヘブナーやハンディーらによって、相次いでバッククロールストロークが編み出された1912年、競技種目として背泳ぎが独立している。1916年(大正5)には、全国大会で正式種目に初採用された。その当時の背泳ぎを中野秀治は、次のように語っている。
「手は、両手あるいは片手のかき方があり、入水は、頭の上または肩。足はバタ足、少し開いて蹴り合わせるものもある。体形も仰向けあり、椅子に腰掛けたようなものもある。」
手、足、入水および姿勢のすべてに2通り存在していたことから、標準的な泳法が確立されていなかったと断言することができる。さらに、1925年刊行された斎藤六衛の新式水泳術にも、多様な泳法が紹介されており(図5)、背泳ぎが一つの

図5 バックストローク
斉藤六衛:新式水泳術、玄洋社pp86(1925)より
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